飛び込んで、愛の世界へ。

灰の中のダイヤモンド。

あの頃、僕らはいつでもジュブナイルのかけら抱いて。

(※極私的な懐古記事です。ご了承ください。)

 

 

 

 

 

わたしの中の永遠の17歳、山田涼介さんがお誕生日を迎え、27歳になったと聞きました。

 

まずはじめに、山田涼介さん。お誕生日おめでとうございます。

忘れもしない5月9日。山田担を降りてもう数年経つというのに、いまだに覚えているこの日。

それくらい、私にとって山田涼介さんという人は大切であり、衝撃的な人だった。

 

 

 

山田涼介さんを好きになったのは、2008年に見ていたスクラップ・ティーチャーがきっかけでした。

スーパー中学生の高杉くん役として、ダメ教師たちをヒィヒィ言わせていた、あの正論バカで冷酷で、だけど、どこか可愛くて憎めなくて、本当は優しい高杉くん。

「高杉くんやってる人って、誰なんだろう?」から始まり、「あ、ジャニーズのHey!Say!JUMPの人なんだ」「すごい!かっこいい!応援したい!」

そう思った時からわたしのジャニヲタ人生はスタートし、

当時のなけなしのお小遣いをはたいてHey!Say!JUMPさんのCDを買ってはディスクがすりきれるほどに聴き込んで、雑誌などを買っては何度も何度も読みふけて、どんどんどんどん好きになっていった。

Hey!Say!JUMPさんが1年ぶりにシングルを出すと知ったときも、大好きな山田くんが単独でドラマ出演が決まったときも、Hey!Say!JUMPさんが初めてのアルバムを出すと決まったときも、泣いて喜んだ。ずっとずっと、楽しかった。

 

だけど、正直、あの頃は山田くんが好きと言っても否定的な言葉しか言われなかったり、バカにされたりなどで、幼いながらも「好きな人を好きでいちゃダメなのか」と思っていた。

 

だけど、山田くんやHey!Say!JUMPさんが好きな子たちと友達になれたとき、すごくすごく嬉しかった。

小、中、高の中で、山田くんやHey!Say!JUMPさんがきっかけで友達になれた子たちは、どれくらいいるんだろうと思うほど、たくさんの友達ができた。

大人になった今でも、わたしと仲良くしてくれている友達の大半は、その当時に仲良くなった子たちです。

 

あの頃、ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと、永遠に大好きだった山田涼介さん。

楽しかったときも、嬉しかったときも、悲しかったときも、辛かったときも、死んでやろうかと思うくらい絶望したときも、どんなときでも、わたしの心には山田くんがいた。

結局、2013年の12月に山田担を降りるまでずっと、山田担として全力でヲタク人生を駆け抜けた。

 

大好きだったピークの山田くんは、17歳だった。

あの頃の山田くんは少し大人になっていたけれど、好きになった頃の面影が残る、純粋で、無邪気で、おふざけ坊やで、いちごが大好きで、お顔がまん丸で、ずっと同じネックレスしてて、ちょっとだけ襟足の長い髪の毛で、ファンを喜ばせようと、どんなことがあってもいつも全力でアイドルを貫く。

そんな山田くんがどうしようもなく大好きで、可愛くて、愛おしくて。

彼は今も変わらず輝いているけれど、その当時の彼は、私の中で「黄金期」と呼べるほど、まぶしいくらいに輝いていた。

 

そんな17歳の山田くんは、まぎれもなく私の青春のすべてだった。

もちろん、降りるそのときまでの山田くんも私の青春だ。

だけど、私の中で17歳の山田くんは別格だった。私のすべての青春を捧げたのは、他の誰でもない、

山田涼介さん。ただ1人だった。

 

 

そんな、私の全青春そのものである「17歳の山田涼介くん」から

あっという間に10年が経ち、「27歳の山田涼介さん」になった。

もうすっかりアラサーになり、あの頃の面影は多少あるものの、素敵な男性になった山田涼介さん。大人になったんだと嬉しく思う反面、寂しいような。

ただただ、いつまでもあの頃の「山田涼介くん」を大切にしていたいと思うのは悪いことだろうか。

 

私が初めて好きになった人であり、大切なことをすべて教えてくれた人であり、ずっとずっと仲良くしていきたいと思う友達と出会わせてくれた人であり、私の全青春を捧げた、山田涼介さん。

 

これからも変わらず、その優しさと底抜けのアイドル精神と無邪気さと愛を忘れずに、たくさんのファンの方々を幸せにしてください。

 

改めて、山田涼介さん。お誕生日おめでとうございます。

あなたにとって、愛と幸せがあふれる素敵な年になりますように。

 

 

 

 

私が愛した、私の「青春」に花束を。💐